種差別

(ミッドジャーニー)

古代エジプトの奴隷制度やインドのカースト制度、そして現在も続く日本における同性婚の禁止など、人類が存在してきた限り、人間は他者を差別してきました。

現在、差別が話題になる時、人間同士の差別が主に取り上げられます。人種差別、性差別、障害者差別、年齢差別は分かりやすい例です。しかし、差別は私たち人間だけに限ったものではありません。私たちと同じように、人間以外の動物も感じ、考え、苦しむことができるため、彼らも差別の対象となる存在です。

人間以外の動物に対する差別は「種差別」と呼ばれます。その名の通り、ある特定の種に属するかによって差別していることを指します。例えば、ある法律が犬や猫を守り、鶏や豚を守らない場合、それは種差別的な法律であると言えます。

他の差別と同様に、種差別は恣意的な区別に根ざしています。生まれ持った肌の色や年齢を選ぶことができないように、人間、犬、鶏、魚のどの動物として生まれることも選ぶことができません。言い換えれば、肌の色や年齢と同じように、種も単に選ぶことのできない生物学的な特徴に過ぎません。そして、選ぶことのできない特徴を理由に差別することは、恣意的であるだけでなく、不当です。

一見すると、種差別は大した問題ではなく、当たり前のような事でしかないと思えるかもしれません。しかし、種差別による影響は大きく、想像を絶するほど膨大な数の動物に苦痛を与えています。このことを真に理解するために、私たちの日常生活や社会のさまざまな面で、種差別がどのように存在しているのかを見てみましょう。

経済的観点

経済的観点から見ると、種差別はさまざまな動物の命をどのように評価するかによって現れます。例えば、犬と暮らしている多くの人は愛犬の命を掛け替えのない、値打ちのつかないものと考えており、「あなたの愛犬を食べたいんですけど、買っていいですか?」と言う人が何百万円払おうとしても応じないでしょう。対照的に、スーパーでは当たり前のように鶏の一生がたった千円で販売されています。そして、愛犬にお金をかける時は高級ペットフードや快適なベッド、医療など、彼らの生活を向上させるためです。しかし、家畜と呼ばれる動物にお金をかける時は、彼らの命を奪うような産業と取引をする時だけです。

畜産において多くの動物の存在価値は低いため、病気や怪我になった時は放っておかれ、死ぬまで孤独に苦しみます。(Gustavo FringResha Juhari / We Animals Media

法的観点

法的観点から見ると、種差別は動物の一貫性のない分類を通じて現れます。犬や猫は保護に値する「愛玩動物」として認識されており、一見、些細なことでも傷つけると法律で罰せられることがあります。対照的に、牛、豚、鶏、魚は「家畜」または「所有物」として認識されており、法的範囲内で彼らを傷つける方法はたくさんあります。猫の尻尾を切り落としたり、狭い場所に閉じ込めたりすることは違法だが、卵産業の鶏は日常的にも合法的にもくちばしを切り落とされたり、バッテリーケージに閉じ込められるなど、甚大な苦痛を伴う扱いを受けています。

バタリーケージにいる鶏たち(Existence / We Animals Media)

文化的表象の観点

文化的表象の観点から見ると、種差別はメディアにおける動物の描き方を通して現れます。映画やテレビ番組では、犬や猫は大切な家族の大切な一員として描かれることが多く、ハチ公のように個性や名前を持つキャラクターとして表現されることもあります。対照的に、牛、豚、鶏、魚のような動物は通常、「商品」としてのみ登場し、冷蔵庫や皿の上、あるいは精肉店の陳列で「肉」として紹介されます。

(ハチ公物語 | 深夜食堂 , Netflix)

教育的観点

そして教育的観点から考えると、種差別は私たちが次世代に動物についてどのように教えるかによって影響されます。例えば子供たちに早い段階で、「犬や猫は可愛がり、愛し、優しくするんだよ」と教えつつ、他の動物の体を食べさせるのは暗に、「私たちの動物を食べたい気持ちはその動物たちの命よりも重要である」というメッセージを伝えているのです。

(ベイザー・ユルトクラン)

その結果、犬や猫のような特定の動物は天国で暮らしているかのように扱われる一方で、牛、豚、鶏、魚などの他の動物は地獄で生きているかのような状況が生まれます。

(カロリナ・グラボウスカJo-Anne McArthur / Oikeutta Elaimille / We Animals Media)

他の形態の差別と同じように、種差別は、私たちが動物たちに対する見方と扱い方だけでなく、感じ方にも影響を与えます。猫焼きのために飼育されている猫を想像してみてください。今度は、焼き鳥のために似た状況にいる鶏を想像してみてください。種差別のせいで、彼らの経験が同じであるのに、種が違うだけで私たちの感じ方が変わります。

家畜にされている動物たちにとって種差別は膨大な苦痛を与えるだけでなく、彼らの苦痛を無視し、単に「ただの牛だからどうでもいい」「ただの鶏だから関係ない」という考え方を許容します。種差別は深く根付いているため、彼らを擁護しても無関心や笑いのネタにされる場合もあります。しかし、種差別の被害者である動物たちにとって種差別は壊滅的な結果をもたらす現実的な問題であるからこそ、私たちは種差別に対して何かをしなければなりません。

今まで、差別は人類の特徴的行動の一つであったかもしれません。しかし、差別を行ってきたと同時に、私たちは革新と進歩のために驚異的な能力を発揮してきました。石で作られたナイフから電動チェーンソーへ、煙信号からLINEへ、徒歩での移動から月への飛行へと。これらの移行は、単に技術の進歩だけでなく、進歩に対する私たちの本質的な意欲を表しています。

この意欲をスマホの発明やロケットの製造に活かせるのであれば、道徳的な進歩にも応用できるはずです。歴史を振り返ると、私たちが団結して差別に立ち向かい、それに挑戦することで対処できることが照明されています。そして時間が経つに連れ、私たちは自らの文化を変革し、道徳的配慮の範囲を広げることができました。かつて月への飛行が不可能と思われたように、種差別の根絶も困難かもしれません。しかし、努力により、私たちはすべての意識を持つ生物にとって公正な世界を形成することができます。

肉産業から救出された鶏に食べ物をあげるアニマルライツセンタージャパンの岡田千尋さん。(Itsuka Yakumo / #unboundproject / We Animals Media)

記事提供:りゅうじとトシ

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