人類への手紙

(ミッドジャーニー)

人類へ、

僕は苦しみ班長です。猫が家畜にされている惑星、楽星(ラクセイ)から逃げてきたネコ焼き反対班の創設者です。

この手紙では、僕たちが一生懸命戦っている大義についてお話します。それは、地球にいる「家畜」と呼ばれる動物たちの苦境についてです。

「え?家畜動物?猫のことを気にかけるのは分かるけど、牛や豚、鶏まで?」

確かに、分からなくもありません。なぜなら、この社会の文化、メディア、そして法律によると、家畜と呼ばれる動物たちは道徳的に価値がないと見なされているからです。

しかし、お願いです。楽星では僕の仲間たちに同じことが起きています。猫がテレビに出る時は、グルメ番組に「ネコ焼き丼」として紹介される時だけで、法律によれば僕たちは商品でしかありません。

養猫場、楽星 (ミッドジャーニー)

僕たちは人間に物のように投げ捨てられ、尻尾を切られ、最後はベルトコンベアで首を切られ、殺されます。

どれほど大声で叫んでも、惑星の人々は無視します。僕たちの種に対し、言葉にできないほどの残酷な苦しみを引き起こし、今も続けています。

地球では、僕たちのような猫に対して親切にしてくれる人々がたくさんいて本当に嬉しくなります。しかし、僕たちと同じように重要な動物たちに対して、楽星で僕たちがされてきたことを、ここの家畜と呼ばれる動物たちに対してもしていると思うと、悲しくなります。

なので、最後まで読んでくれると幸いです。

1 意識

一番最初に話す必要があることは、動物たちの「意識」についてです。意識があるということは、多くの人が想像する以上に動物たちがいろんなことを考えたり、感じたりすることができるということです。

人間は友達とカラオケに行くのが楽しいように、豚は友達を追いかけるのが楽しいです。

人間は地震の影響でエレベーターの中に閉じ込められている時に不安を感じるように、鶏もケージの中に閉じ込められている時、不安を感じます。

猛暑日にスイカを食べる時に幸せを感じるように、牛も猛暑日にスイカを食べる時に幸せを感じます。

『ちなみに、僕はスイカが大嫌いだけど、カラオケは結構うまいんだ。』

それに加えて、動物たちは人間と同じように、違った性格や思考、感情を持っており、ひとりひとりが個性的な存在です。

中には恥ずかしがり屋な子もいれば社交的な子もいて、可愛すぎて完璧な子もいます。(僕のこと)

意識がある上で一番重要なことは、「苦しみ」を感じることができるということです。

例えば、自分自身が苦しんでいるときは「誰かに助けて欲しい」と思うでしょう。それと同じように、他人が苦しんでいる時もその人も「助けて欲しい」と思うでしょう。なので、誰かが苦しんでいる場合は、不可能でければその人を助けるべきです。

もし、車に引かれた猫を見かけた場合、ほとんどの人は「その子を助けるべきだ」と賛成するでしょう。例え、猫のことがそんなに好きじゃなくても、その子が苦しみたくないと理解しているので、助けます。

それと同じように、もし、車に引かれた鶏を見かけた場合、その子も苦しみたくないので、鶏のことが個人的に好きでなくても、猫を助ける理由と同じように、その子も助けるべきです。 

つまり、どのような状況においても一番重要なのは、苦しんでいる者の視点から物事を考えることです。

この地球でも、楽星でも、僕の経験上、人間が食べ物として動物を利用することの道徳性について議論する際、会話は、その問題を議論する人々の「視点と意見」に沿って進みます。

「私は、動物を食べるのが可愛そうだと思う」対「でも、私は、動物は人間のために存在すると思うからな」という議論になることがよくあります。

しかし、利用されることによって苦しむのは僕たち(動物)なので、一番最初に考慮すべき視点は、僕たちの視点ではないのでしょうか?

酪農場、地球 (Andrew Skowron / We Animals Media)

2 動物たちの視点

「家畜農業」とは、家畜にされている動物たちの視点からするとどのようなことなのでしょうか?

「農場や屠殺場は社会の一部で当たり前なものだ」と、多くの人々は思うかもしれません。テック企業がテレビやスマホを生産するように、畜産業は肉、乳製品、卵を生産します。しかし、動物の視点から見ると農場や屠殺場は恐怖と苦しみの場所であり、そこでは彼らの自由、自律性、そして最終的には命が奪われます。

養豚場、地球 (Jo-Anne McArthur / We Animals Media)

そのような場所で動物たちは、「意識のある存在」として扱われるのではなく、「商品や機会」として扱われます。「豊かに生きているかどうか」が大事にされるのではなく、「利益になるかどうかが」大事にされます。そして僕たちが感じたり、考えたり、苦しんだりすることは配慮されず、そのようなことは僕たちを利用するのを複雑にするだけであり、彼らにとっては不便なことに過ぎません。

卵養鶏場、地球 (Jo-Anne McArthur / Animal Equality / We Animals Media)

例えば、肉用に鶏を飼育するにおいて何が重要なのかを考えてみましょう。最終的に重要なのは、鶏が殺される時に十分に成長しているかどうかだけです。彼らが新鮮な空気を吸えるかや、砂風呂で遊べて幸せであるかどうかは実際重要ではありません。そのため、経済的利益を増やすために動物たちの幸福を犠牲にする必要があれば、そうするでしょう。

現代の鶏の飼育方法では、数千から数万羽の鶏が一つの大きな工場に監禁され、飼育されます。これらの施設はすぐに糞尿で満たされ、アンモニアが発生し、鶏の目や肺に損傷を与えます。さらに、選択的繁殖により鶏は異常な速さで成長し、様々な健康問題に悩まされます。歩くことや立ち上がることさえ難しくなり、多くの鶏は屠殺される前に死亡することも珍しくありません。

養鶏場、地球 (Benjamin Blomstedt / We Animals Media)

つまり、現代の鶏の日常は苦しみで満ちており、牛、豚、その他の家畜と呼ばれる動物たちも同じ状況にいます。

「もし動物が自らの宗教を作れるとしたら、悪魔は人間の姿で描かれるでしょう。」

この問題は少数の動物に限られたものではありません。最新の推計によると、私たちは年間約900億匹の動物を肉や卵、乳製品の生産ために殺しています。これは世界人口の10倍以上に相当します。平均すると、1秒に約3000匹の動物を殺しています。もし人間が同じペースで死ねば、わずか一ヶ月余りで絶滅するでしょう。

3 では、どうするべきか?

大まかに言えば、動物たちを助けるためには二つの重要なことがあります。一つは、動物たちに対する見方を変えることであり、もう一つは彼らの扱い方を変えることです。

動物たちに対する見方を変えるとは、犬や猫のように、魚、鶏、豚、牛も感情を持つ、考えたり苦しんだりする「個人」であると認識することです。彼らの苦しみは彼らにとって重要であるので、私たちにとっても重要であるべきです。

扱い方を変えるとは、彼らが傷つくような行為をやめ、本当に彼らのためになることを考えて行動することです。それは、猫焼きのために猫を殺すことを反対するのと同じように、焼き鳥のために鶏を殺すことも反対することです。

時々、日向でお昼寝をする時、夢の中で広大な野原で牛や豚、鶏などいろんな動物たちが一緒に楽しく過ごし、人間が遊んでくれて、優しくしてくれる夢を見るんだ。これは楽園のように聞こえるかもしれないけど、僕はいつかこのような世界を実現できると信じているし、その日がくるまでずっと戦い続けるんだ。だから、君にっも一緒に戦ってほしい。ちなみに、仲間になったら僕のことをクーにゃんって呼んでいいよ。

これからもよろしく!

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